柴崎友香さん「千の扉」 [本☆☆]
新宿にほど近い大規模団地を舞台にした作品です。その意味ではタイトルはそのままですね。
39歳の千歳は、親しいわけでもなかった一俊から「結婚しませんか?」と言われ、広大な都営団地の一室で暮らし始める。その部屋で40年以上暮らしてきた一俊の祖父から人捜しを頼まれ、いるかどうかも定かでないその人物を追うなかで、出会う人たち、そして、出会うことのなかった人たちの人生と過去が交錯していく……。
(出版社HPより)
主人公の千歳の視点で描かれる、新宿にほど近い都営団地の淡々とした暮らしぶりが、次第にそこで生まれて育って暮らしたある男性の生活の断片が物語にゆっくり侵食されていきます。
何気ない日常を関西弁でゆるりと描く心地よさが柴崎さんの作品の魅力でしたが、今作では多くの住民たちの日常や暮らしの中で積み重ねてきた歴史といったものが混在となって描かれていて、ただ心地いいだけでなく、日々の営みに思う愛おしさのようなものを感じました。
団地なので基本的には個々に閉ざされているのですが、千歳が義理の祖父に頼まれて音信不通の住人を探すことで様々な住民たちと接点が生まれ、物語が動き始めます。
やがて現在のストーリイに加えて、一俊の祖父の視点での終戦後から団地造成の頃のストーリイが加わり、多くの人の記憶が描かれていき、読み手としては軽い混乱に陥りました。
ただ、その構成が土地の記憶というか、その地に暮らす人々の営みの地層の上に成り立っていることを実感して物語がより深く面白くなりました。
神永学さん「悪魔と呼ばれた男」 [本☆☆]
うーん、レクター博士?
憎悪と不条理に満ちた現代に再び宿る悪魔―彼のことを悪魔と呼ぶなら、あなたの中にも悪魔はいる。 押し寄せる眩暈と慟哭のマジック―神永ミステリーを今こそ体験せよ!
空中に吊り下げられ、首に悪魔の象徴である逆さ五芒星が刻印された女の死体が発見される。秘密裏に警察が追うシリアルキラーの新たな獲物だ。凄惨で残忍なのに息をのむほど美しい殺人現場を残す犯行はまさに「悪魔」の仕業。警察への挑戦に等しい凶悪事件に、警視庁は少数精鋭の特殊犯罪捜査室を新設する。抜擢されたのは、臨床心理士で犯罪心理学のエキスパート・天海と捜査一課で検挙率トップを記録し「予言者」という異名を持つ阿久津。複雑で錯綜した事件は、罪と罰の本質をも問う衝撃的展開を見せる。そして訪れるミステリーの枠を越えるほどの深い感動。神永学が作家業15年の集大成として放つ圧倒的超絶ミステリー。
(出版社HPより)
阿久津の「予言者」と呼ばれる理由が早々にわかってしまい(現実には受け入れられないのでしょうが、そこはフィクションですし)、あとは犯人にどう肉薄していくかというところに興味が移りました。
その意味では「犯罪心理学のエキスパート」であるはずの天海の抜けの多さが捜査を停滞させているような気がしました。
猟奇的ながら美しささえ感じさせる犯人の動き、阿久津と天海の相容れないバディっぷり、二人の上司である「黒蛇」と言われる大黒警視正の狙い、警察内部の動きなど展開の先が気になって一気読みしてしまいました。
本当の意味で「悪魔」だったのは誰なのかな。
伊東潤さん「城をひとつ 戦国北条奇略伝」 [本☆☆]
「奇略伝」かなぁ。
「城をひとつ」「当代無双」「落葉一掃」「一期の名折れ」「幻の軍師」「黄金の城」の6編が収められています。
「城をひとつ、お取りすればよろしいか」、小田原城に現れた男は不敵にそう言い放った。商人に扮して敵地に入り込み、陣中を疑心暗鬼に陥らせ、一気に城を奪い取る――家伝の調略術で関東の覇者・北条氏を支え続けた影の軍師・大藤一族の五代にわたる闘いと北条の命運を決する小田原合戦までを描く圧巻のインテリジェンス合戦記!
(出版社HPより)
『孟徳新書』という曹操が書いたとされる兵法書の中にある秘伝『入込』を用いて敵方に侵入し、後北条軍を勝利に導く使命を帯びた大藤家5代の物語です。
城攻めに際して敵地に侵入し、策略を凝らして味方を勝利に導くという、正体がバレたら生きては帰れない職務を遂行します。
北条家の忍びというと風魔一族が知られていますが、破壊工作や陽動作戦とは少し違います。
相手に取り入って、弱点や単純さ・純粋さを逆手に取って内部崩壊を引き起こします。
「城をひとつ」から「幻の軍師」までは、まさに大藤一族の面目躍如です。
しかし、最終編の「黄金の城」だけは違っていました。秀吉の小田原征伐に完全に受け身に回った北条家に大藤一族ができることはなにもなかったといってもいいかもしれません。
史実を超えることのできない歴史小説の縛りかもしれません。
東川篤哉さん「探偵少女アリサの事件簿 今回は泣かずにやってます」 [本☆☆]
探偵少女アリサの事件簿 今回は泣かずにやってます (幻冬舎文庫)
- 作者: 東川 篤哉
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2020/10/07
- メディア: 文庫
シリーズ第2弾です。うーん、破壊力が減った気がします。
「名探偵、夏休みに浮かれる」「怪盗、溝ノ口に参上す」「便利屋、運動会でしくじる」「名探偵、笑いの神に翻弄される」の4編が収められています。
勤め先のスーパーをクビになり、地元・武蔵新城で『なんでも屋タチバナ』を始めた俺、橘良太。31歳。独身。長所、特になし。特技は寝ること。最近は、隣駅の溝ノ口に住む名探偵一家の主・綾羅木孝三郎がお得意様。娘の綾羅木有紗の子守役を仰せつかっている。しかしこの有紗、10歳にして名探偵を気取っており、俺が依頼された事件にことごとく首を突っ込みたがる。そんなある日、孝三郎の代わりに有紗と高橋さん一家の奥多摩バーベキューに付き添っていたら、なんと溺死体に遭遇してしまい…!?天才美少女探偵&ヘタレ三十路男が難事件に挑む!大人気シリーズ第二弾。爆笑必至のユーモア・ミステリー。
(「BOOK」データベースより)
天才美少女探偵(どうしてもイメージできないんですが)とポンコツヘタレの三十路男のなんでも屋の凸凹コンビが難事件を解決します。
東川さんらしいユーモアあふれる、でもしっかりとミステリも楽しめる作品です。
なかでも「世界的に有名な探偵・綾羅木慶子、 全国的に有名な探偵・綾羅木孝三郎」で夫の孝三郎が凹む毎度のシーンがお気に入りです。
サブタイトル通り、前回は橘良太のイジリに泣きべそをかいていた有紗でしたが、今作では泣き虫を卒業したようです。ちょっと残念。
残念といえば解決編の有紗のロケットキックも抑え目です。ハチャメチャやってほしいなあ。
安部龍太郎さん「宗麟の海」 [本☆☆]
九州六か国を制覇したキリシタン大名の大友宗麟の生涯を描いた歴史小説です。
信長に先んじて海外貿易を行い、硝石、鉛を輸入、鉄砲隊を整備。強大な軍事力と知略で九州六ケ国を制覇。理想の王国を作ろうと夢に向かって駆け抜けた大友宗麟を描く。直木賞作家が新たな構想で挑む歴史小説!
(「BOOK」データベースより)
土地勘もなく、戦国時代の九州の国盗り合戦のプレイヤーがよくわからない、というのもあって読んでみました。
大友宗麟は主に大分を中心に活躍した武将で、大友家の隆興の立役者でした。
大友家の家督争いを経て、南蛮貿易や銀山開発で国力を上げ、九州北部を巡る大内・毛利家との争いなどが描かれます。
際立つのは宗麟の聡明さや先見の明のあるところです。
先天性の持病を抱えているという設定のため、武力よりも知力が自然と育まれたという生い立ちは「二階崩れの変」(自民党の幹事長のことではありません(笑))を引き起こし、それが宗麟のベースとなり、領土拡張のきっかけにもなります。
合戦シーンを描くというよりはヒト・モノ・カネ・情報を丹念に描いたという印象です。
それに加えてキリスト教の頒布と政教分離という課題が現代的だと感じました。
東野圭吾さん「素敵な日本人」 [本☆☆]
東野さんには珍しいミステリ短編集です。
「正月の決意」「十年目のバレンタインデー」「今夜は一人で雛祭り」「君の瞳に乾杯」「レンタルベビー」「壊れた時計」「サファイアの奇跡」「クリスマスミステリ」「水晶の数珠」の10編が収められています。
一人娘の結婚を案じる父に、娘は雛人形を指差して大丈夫という。そこには亡き妻の秘密が……。(「今夜は一人で雛祭り」)独身女性のエリーが疑似子育て体験用赤ちゃんロボットを借りたところ……。(「レンタルベビー」) 世にも珍しい青色の猫。多くの人間が繁殖を目論むが……。(「サファイアの奇跡」)日本人に馴染み深い四季折々の行事を題材にした4編と、異色のミステリ5編を収録!
(出版社HPより)
1~3作まで読んで各月ごとのお話か、でも10編しかないな、と思っていたらやっぱり初めだけでした。趣向を凝らして、というのは要求しすぎですかね。
いろいろなバリエーションに富んだ作品集です。思いがけないトリックがあったり、近未来SFっぽいものがあったり、想像を超えるオチがあったりと、なかなか楽しめます。
手軽に楽しむにはうってつけの一冊です。
はらだ みずきさん「海が見える家」 [本☆☆]
初読みの作家さんですが、当たりでした。
苦戦した就活でどうにか潜り込んだ先はブラック企業。働き始めて一ヶ月で辞職した。しかし、再就職のアテもなければ蓄えもない。そんな矢先、疎遠にしていた父親の訃報が飛び込んできた。孤独死したのか。どんな生活を送っていたのか。仕事はしていたのか。友人はいたのか。父について何も知らないことに愕然としながらも、文哉は南房総にある父の終の棲家で、遺品整理を進めていく。はじめての海辺の町での暮らし、東京とは違った時間の流れを生きるうちに、文哉の価値観に変化が訪れる。そして文哉は、積極的に父の足跡をたどりはじめた。「あなたにとって、幸せとは何ですか?」と穏やかに問いかけてくる、著者新境地の感動作!
(出版社HPより)
疎遠だった父の死を知らされ、退職後に父が南房総に購入した家で遺品整理をしていくうちに父の過去、終の棲家での暮らしなどを知ることで主人公に前向きな変化が表れていきます。
無口で仕事人間だった父しか知らない文哉が、足跡をたどるうちにその印象が少しずつ変わっていく様がいいです。
また、「ぶっきらぼう」と呼ばれたなんでも屋の和海や地域の人たちとの交流や、はからずも父の仕事を引き継ぐことになってしまった結果、仕事に対する「やりがい」を見出す過程も丁寧に描かれています。
それらが南房総の開放的な空気の中で都会の生活に追い詰められた文哉の心を解きほぐしていきます。
なかでもラストシーンがいいです。
父と同じ景色を見て、沖を振り返ると「少年のように」笑っている━━印象的な情景でした。
朝井まかてさん「残り者」 [本☆☆]
幕末の江戸城明け渡しの影で起こった出来事を創作した作品です。
時は幕末、徳川家に江戸城の明け渡しが命じられる。官軍の襲来を恐れ、女中たちが我先にと脱出を試みる中、大奥に留まった五人の「残り者」がいた。なにゆえ残らねばならなかったのか。それぞれ胸の内を明かした彼女らが起こした思いがけない行動とは??直木賞受賞作『恋歌』と対をなす、激動の時代を生きぬいた女たちの熱い物語。
(「BOOK」データベースより)
江戸城大奥で篤姫、和宮に仕える5人の女性たちが残ってまでやり遂げたかったことを2日間にわたって描かれます。
呉服之間の篤姫付きのりつ、御膳所のお蛸、御三之間のちか、御中臈のふき、呉服之間和宮付きのもみぢの5人です。
年齢も立場も職場も異なる女性たちはそれぞれに背景があって、抱える事情があって、登場人物たちが生身のある人間に描かれています。
着眼点や、大奥の背景・事情(薩摩生まれの篤姫と降嫁した和宮それぞれの女中たちの対立)、ストーリイ展開といい、朝井さんならではの物語が描かれます。
なんといってもラストが秀逸でした。
心穏やかになる読後感でした。
柴田よしきさん「お勝手のあん」 [本☆☆]
どうしても『みをつくし料理帖』シリーズを想像してしまいます。同じ出版社だし。
品川宿の老舗宿屋「紅屋」を営む吉次郎は、二年ぶりの長旅から、見知らぬ女童を連れ帰ってきた。吉次郎は、女童・おやすの類まれな嗅覚の才に気づき、「紅屋」のお勝手女中見習いとして引き取ることに──。拾って貰った幸運をかみしめ、ゆるされるなら一生ここにいたいと、懸命に働くおやす。研究熱心な料理人・政一と、厳しくとも優しい女中頭・おしげのもと、年下の奉公人・勘平、「百足屋」のお嬢さま・お小夜とともに日々を過ごすなかで、人間として、女性として、料理人として成長していく。柴田よしき、初の時代小説シリーズ第一弾!
(出版社HPより)
なぜ「おやす」が「あん」なのか疑問に思っていたんですが、あの海外名作のオマージュだったようですね。
そうなると最初に抱いたイメージも変わってきます。
けなげで前向きなおやすが周囲の人の好意を受けながらお勝手女中として成長していきます。
女性が人生を送るうえで制約にがんじがらめになっていた時代に、おやすがどのような人生を送っていくのか、行く末が気になります。
初めの印象を見事に覆されたのは、さすが柴田さん、というところです。
青山七恵さん「踊る星座」 [本☆☆]
連作短編集です。苦難と理不尽と、それでも働く主人公に共感を覚えます。
「ちゃぼ」「煙幕」「スーパースター」「恋愛虫」「わたしの家族」「ハトロール」「あなたの人格」「妖精たち」「テルオとルイーズ」「お姉ちゃんがんばれ」「奥さんの漂流時代」「ジャスミン」「いつまでもだよ」の短編13作が収められています。
ダンス用品会社で働くセールスレディのわたしは、ヘンな顧客、重たい家族、痴情の縺れた上司に次々絡まれ、ぶちギレ寸前。今すぐここから逃げ出したい!泥々に疲れた一日はしかし、幼き日の記憶と結ばれ、生の切なさと可笑しみ溢れる星座を描く―踊り出したら止まらない“笑劇”の連作短編集。
(「BOOK」データベースより)
まるで主人公の見る悪夢を見せられているような、不条理と理不尽な事態に次々に巻き込まれる様を見ているしかありません。
世界観や描写が圧倒的というわけでもないのですが、犬も歩けば棒に当たる的なシュールな出来事に圧倒されます。
途中で気づいたんですが、これ、一日の出来事なんですよね。
こんな目に遭ったら、精神崩壊しそうです。